修了生の声

河原大輔さん

プロフィール

  • 2013年修了
  • 河原会計事務所所長

河原大輔さん

論文作成で身につけた論理的思考の姿勢は、一生涯の宝

私が、LEC会計大学院に入学したのは、2011年の春であった。目的は税法に関わる論文を執筆することにあった。私は、それまで文章を書くということをきちんとしてこなかった。ましてや論文には縁がなかった。仕事の関係上、様々な報告書は書いていたが、今を思えば、極めてお粗末な文章であり、よくも平然と提出できたものだと赤面する。そのような私が、6万字に及ぶ学術論文を書き上げることができたのは、本大学院の論文指導教員及び論文指導体制(マイルストーン管理)が優秀であったこと、それが理由であると言って間違いないだろう。もちろん、私も努力した。口頭試問直前の締め切り近くは、頭の中は論文一色であった。仕事もしていたので、論文の執筆は必然的に深夜に及び、睡眠時間は当然少なかった。本当に論文を書き上げることができるのであろうか、という心のプレッシャーも重なり、疲労困憊を極めていた。結果、口頭試問に合格した頃は、92キロあった体重が80キロまで激減したほどである。それだけ、論文を執筆するということは大変なことであった。その一方で、成し遂げた充実感、修士論文という成果、及び、なによりも論文に向き合うことにより身につけた論理的思考の姿勢は、一生涯の宝となった。

特徴的な論文指導体制「マイルストーン管理」

本大学院の論文指導の特徴的なところの一つに、独特な論文指導体制がある。いわゆるマイルストーン管理である。通常の大学院の論文指導は「基本的には個人指導で完結してきた」もののようである。具体的には、指導教員と少人数の院生とが、共同して論文執筆を進めていくものである。一方、マイルストーン管理とは「修士論文完成に向けた中間的な目標を明確に位置づけることを意図し、」それに基づいて「修士論文作成の進捗をモニターし、必要な指導を適時に行う」管理方法であり、「個人指導を維持しつつ集団指導へと進化させ」たものである。具体的には、仮テーマ決定、序論作成、結論作成、論文全体作成、口頭試問という中間的な目標があり、それぞれの中間目標を期限内に合格しなければならない。不合格であれば、最悪の場合、その時点で留年となる。このように述べると、マイルストーン管理は院生にとって厳しい指導体制であると思われるかもしれないが、それは少し違う。実際のところは、論文指導教員にとっても、院生を合格させるための中間的な目標であるので、次のステップへとあげるために懇切丁寧に指導していた。つまり、できる限り全員を合格させるための指導体制といってよい。そうとはいえども、こうしたマイルストーン管理を理解したのは、論文を書き上げた後である。論文執筆中の院生にとっては、自分の合否が中間時点で決まってしまうのであるから、そのプレッシャーは強烈であった。かくいう私も、最終的には最も早く合格した一人だが、中間目標である序論作成の時点は、通過が最も遅かった。正確には、合格であることを明示的に通知すらされなかった。留年の可能性も十分有り得たところであったが、それを、論文指導教員の熱意のこもった指導により、マイルストーン管理の流れに乗り、合格することができたのであった。

本大学院は、一学年の定員が60人である。大人数であるが、その大部分が修士論文を執筆するという高い目的意識を共有していた。また、そのほとんどが社会人であった。同じ環境で、同じ目標に向かって日々努力をしていたので、当然として仲間意識があった。そして、それと同じくらい競争意識もあった。先に述べた通り、マイルストーン管理の過程では、中間目標を通過できる人と通過できない人とに分かれる結果となる。つまり、進行の早いチームと遅いチームに分かれる。私は、2年間の課程の内、半分くらいを遅いチームにいた。早いチームに合流したのは、最後の半年のことである。遅いチームにいた時、同じチーム内の仲間意識は強く共に切磋琢磨した。その一方で早いチームには負けないという競争心があった。そして、合格した今は、全員が共に同じ苦しみを味わい、乗り越えた仲間だと心から思う。

「文章をきちんと書く」ということの難しさ

ここで、私の論文執筆過程で最も苦しんだことを紹介する。それは「文章をきちんと書く」ということであった。税法に関わる学術論文を執筆するのであるから、自分の選んだテーマについての研究こそが最も苦しむべきことかと思われるかもしれない。少なくとも私自身は、そのように考えていた。ところが私は、論文執筆にあたり「研究すること」よりも「文章をきちんと書く」ことに、もがき苦しむこととなった。このことは私に限ったことではなく、間違いなく同期のすべてが苦しんだ。私を含めて同期のほとんどは、そこそこの年齢の社会人であり、文章に触れる機会も年齢の分だけあったはずであった。しかし「文章をきちんと書く」ことができないために、皆がもがき苦しんだ。たったの1行、35字を書くために、2時間以上かかることもざらであった。まして、論文は5万字以上である。まさに、心身すり減らして論文を執筆したのであった。

「文章をきちんと書く」ということは、いかなることであろうか。これには二つの意味があると考える。一つは「読みやすく伝える」ということである。振り返ると、論文指導教員の言葉を思い出す。論文指導教員は「平易な言葉」で「シンブル」に伝えることを強調した。しかしそれは、簡単なことではなかった。論文執筆を始めたころ、すなわち序論作成のころ、私の序論を同期の仲間に読んでもらったことがある。その評価は「むずかしい」ということであった。もちろん「意味が分からない」の婉曲的な表現である。おそらく「専門的な言葉」で「複雑」に述べられた序論であったからだと考える。当然のことながら、私の序論は論文指導教員の評価においても不合格となった。その後の論文執筆において「読みやすく伝える」ことに、最終の最後まで、もがき苦しんだ。なお、この苦しみを乗り越えて合格できたのは、「てにをは」に至るまで直接校正して頂いた論文指導教員のおかげだと考える。また、こうした指導が本大学院の極めて魅力的な特色ではなかろうか。

「文章をきちんと書く」ということのもう一つの意味は「論理性」である。専門家として仕事をする者は、論理的思考が極めて重要ではなかろうか。根拠のない主張は「感情的」なものであり、評価に値しない。専門家に求められるのは、根拠から導かれる「論理的」な主張である。私は、このように本大学院で指導を受けた。そして、私は、LEC会計大学院での論文執筆を通じて、専門家として必要とされる論理的思考の姿勢を学ぶことができたと考える。この論理的思考の姿勢は、一生涯の宝となるものであろう。

最後に

私は、上述の通り、論文執筆を通じて多くのことを学ぶことができた。かつて、私の学生時代の恩師が、大学院に論文を書きに行く、と言ったことがある。当時の私にはその意味がわからなかった。しかし、今ではよく分かる。

この度、機会があって、LEC会計大学院での私の体験を紹介した。言葉足らずで、ほんの一部しか紹介できないことは、残念でならない。また、この場をかりて、改めて、論文指導でお世話になった教員の方々に感謝を申し上げたい。なお、これから論文執筆を考えている方の一助となれば幸いである。

参考
山本宜明.(2011).「修士論文作成のマイルストーン管理(その1)」『LEC会計大学院紀要第8号』.pp177−201